脱原発デモに参加したスタッフたち 2011.9.11 四日市 |
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草木染めで 講師の中嶋千絵先生といっしょに (左、大澤隼人 右、境一樹) |
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スタッフで陸前高田へ 2011.10.7~10 |
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岩手県陸前高田市 また宮城県気仙沼市を訪ねてみて 清水 俊博(写真右端) 私は被災地を訪れるのは2度目でした。やはり悲惨な光景を目の前にすると悲しさが溢れてきました。 前回の亘理町と大きく違ったのが被害の大きさでした。海岸線のみの被害に比べ今回の陸前高田市は海から遠く離れた場所までもが大きな被害にあっていました。 また驚くことに山の裏までもが津波の被害にあっていたのでした。また両サイドが海の半島のような場所では津波が両サイドから押し寄せすべてを飲み込んでいました。 今回のボランティア活動は簡易トイレの移動と瓦礫撤去でした。 トイレの移動では汚物が流れ出したりと体力的にも精神的にもきついものでしたがその分被災者の役にたったんではないかと思えました。 瓦礫撤去は先ほど記述した半島のような場所で行いました。畑や田んぼは瓦礫が混ざった土に覆われていました。その瓦礫を撤去するものだったのですが土を掘れば一人では動かせない大きな石、ガラス、電話、家電製品など畑にあるはずのないものが出てきました。津波のとてつもない力を見たようでした。 また宿泊先の民宿は気仙沼の海のすぐそこでした。車を民宿に走らせる道中は焼け野原のような状態で民宿が本当にあるのかと疑問に思うほどでした。しかし宿泊させていただいた民宿は奇跡的に無事で、周りは津波に飲み込まれ、生と死の境界線を見たようでした。 今回のボランティアで一番心に残っているのは、民宿の主人の「被災してから食べた物は本当においしかった。」という言葉でした。民宿での晩ご飯を残してしまったことを本当に後悔しました。 今の自分たちは本当に幸せなんだと感じました。 また今回作業した畑、田んぼでいつかおいしい作物が収穫できる日がくることを願っています。 |
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公害慰霊祭 2011.9.24 公害慰霊祭でいそかんを代表してスピーチする瑞華さん |
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第29回公害被害者慰霊祭に手向ける言葉 磯津環境学校を代表して 矢賀 瑞華 私が小学5年生の時、担任の先生が総合の時間を使って四日市公害についての学習の時間を作って下さいました。その時私は初めて四日市公害によってたくさんの人が犠牲になり、被害者の方と企業の壮絶な闘いがあったことを知りました。そして今も公害が原因で苦しんでいる人がいることを知りました。 たくさんの犠牲者の中でも幼くして公害の犠牲者となった吉秀君に尚子ちゃんたち。これから楽しいことや嬉しいことなどをいっぱい経験して大人になっていくはずだったのに、私たちが当たり前のように迎え、歩んできた未来というものを、吉秀君と尚子ちゃん二人を含む多くの子どもたちはほとんど見ることなく亡くなってしまいました。死ななくてもよかった吉秀くんや尚子ちゃんたちの死は、残念、無念どんな言葉を使っても表すことはできません。 私の夢は小学校の教師です。教師になったら、私もまた四日市公害について子どもたちとの学びの場を作ります。数えきれないほどの悲しみを生んだ四日市公害についてはまだまだ学びの途中ですが、津環境学校の仲間と一緒にこれからも学び続けます。公害資料館の準備が進んでいると聞きました。資料館はぜひ、公害の被害と加害、そして抵抗の真実を伝える場にして頂きたいです。それが磯津環境学校に関わる私と仲間たちの願いです。 私は子どもたちに伝えます。四日市公害は過去のものではなく、今も続いているということを。人の心の中に今なお苦しみの影を落とす公害を忘れてはいけないということを。必ず伝えます。 |
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オレたちの考える公害資料館 磯津環境学校共同代表 大澤 隼人 7月24日、四日市公害判決39周年市民集会という、来年の40周年と来たる公害資料館開設を見据えての会が四日市の本町プラザで開かれました。 公害に関心の高い方から市や教育関係者など、集まったお客さんは150人以上(推定)。 そんな大舞台でわたくし大澤隼人は、磯津環境学校を代表して「私たちの考える公害資料館ビジョン」を発表してきました。 以下は、先に挙げたような錚々たるメンバーの前で、ノミの心臓の持ち主であるわたくしによる斬新かつ画期的でアナーキーな発言の概要です。 「入場料を安くする」 いっそ50円くらいにする。商店街と提携して入館チケットの半券があれば○○サービスとか☆☆円割引きとかがあればよい。 「マスコットキャラを作る」 愛くるしいゆるキャラを作ればたちまち人気が!グッズ展開をしてその利益でイベントを開催したり。 ゆるキャラではなくても、歌だったりオブジェだったり、何かシンボルは必要。 「宿泊ができる」 ここで先のイベントに繋がる。合コンパーティーや野外フェスを開催したり、バーベキューなんかができるスペースがあるとよい。 すると、お酒を呑んで帰れないなんてことになるため、「宿泊」である。しかしそれではただのキャンプ場にすぎない。 そこで、男女ペアで資料館を見て回ってもらい、二人で協力しないと解けないクイズやゲームを出し、クリアしたカップルにはペアの物や映画鑑賞券をプレゼントする。そんな風にすれば、遊んでいたつもりが気がつけば学んでいたということになりうる。 「おいしい食堂がある」 例えば、磯津の漁師さんが獲ってきた新鮮な魚を使った料理を出すお店など。 おいしいモノを食べて気分を害する人などいない。 今挙げたような事柄を全て達成できる場所がある。昔は海水浴場だったという、吉崎海岸である。(磯津通信先月号参照) キレイに整備すればもう一度海水浴場として復帰できるのではと思い、我々はそこに目をつけた。敷地内には大きな建物も残されていて、それを資料館にしてしまえば、海辺の資料館として話題を呼ぶに違いない。 海水浴場にある公害資料館なんて、なんとも皮肉で味があるとは思わないだろうか。 ここまで具体的なビジョンを述べてきたが、大事なのは子どもや若い親、青年が来ること、地域に密着した「学び」が日常的にあることだと思う。たとえ資料館がどこにできても、磯津公会所を別館として整備していただき、磯津を元気にし、四日市公害の原点磯津から、世界に発信していく資料館を私たちは願っている。以上が、僕の発言の概要です。 ふざけているように思われそうですが、一切そんなことはなく、「真面目に型破り」なのです。 とは言いつつも突飛な内容だとは思っていたので、発言前に、「資料館ができたからといって、じゃあ行ってみようかとはなかなかならないので、我々はいかにして若者の興味を引き、足を運んでもらうかということに的を絞って考えました。温かい目で見守って頂ければ幸いです」という前置きをしてから発言したことを記しておきます。こうでも言っておかないと怒られるんじゃないかと、発言前は気が気じゃありませんでした。 発言中は緊張で口が乾いて乾いて仕方がありませんでした。 唇を舐めた回数は片手じゃ利かないでしょう。(しかしこの行為は全くの無意味である。なぜなら舌だってカラッカラだったのだから)できれば二度とあんな場には立ちたくないというのが僕の正直なところです。 その反面、良い経験をさせてもらったと思うのも事実ですがね。 あの時、笑って聞いてくれていた人、温かく見守ってくれていた人、 本当にありがとうございました。 こうして、2011年7月24日は、僕の「人生で一番緊張した日」となったのでした。 |
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いそかんの押し花に参加した子どもたちとスタッフの青年たち |
連絡先 萩森繁樹 (090-4269-0965)
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